遙か太古に掘られたという、巨大な縦穴。
どのくらい深いのかすら判らぬその場所に。

戦火に追われた流民が住み着き、いつしか巨大なひとつの街になっていた。

何処に繋がっているかも判らぬ無数の転送魔方陣と、迷路のように入り組んだ終わり無き階段。
故に、その街は『迷宮街』と呼ばれるようになった。

 

迷宮街にはひとつの伝説がある。

ファントム。

その名だけが知られた、迷宮街の謎。
それを調べるために、ひとりの男が迷宮街を訪れた。

 

「ファントム?この街に住んでる人間なら、誰だって一度は会ってるさ」

街の入り口にある宿屋。
その主である老婆はそう言うと、陰鬱な笑みを浮かべた。

「でも、二度会った人間はいないだろうねぇ………ファントムは、そういうものだからさ」

その意味を男が聞いても、老婆は答えようとしない。
ただ―――

「この街を歩けば判るさ………ただし、ここは迷宮街だと言う事は忘れんようにねぇ」

 

男は老婆の言葉に従って、街を歩いてみる事にした。
入り口から少し階段を下りると、陽光は届かず魔法光の僅かな明かりのみが頼りとなる。

闇に浮かび上がるように続く、複雑に入り組んだ階段を歩き回り………。
踊り場のような場所に出ては、辺りを見回す。

それは方向感覚を失わせた。
男は、同じ所を延々と回っているような錯覚に陥る。

住人であっても、決して己が知っている範囲を出ようとはしない。
その意味を、男は此処に至ってようやく知った。

知らない場所に行けば、迷う。
そして、二度とは戻れない。

迷宮街。
その名の通りに。

男は闇雲に歩き回る。
だが、それは底なし沼で足掻いているかのような………。

 

不意に、男の目の前に人影が現れた。

「迷子だね………さ、一度だけ帰してあげよう」

それは、あの老婆だった。
戸惑う男を余所に、老婆は近くにあった転送魔方陣に手を触れる。

「二度と迷ってはいけない。ここは迷宮街………迷えば二度とは帰れぬ場所」

魔方陣から光が溢れ、男は思わず眼を閉じる。
そして男が再び眼を開けると、そこは街の入り口にあった宿屋の前だった。

 

宿屋の主である老婆に、先程あった事を伝えると………。

「それがファントムだよ」

やはり陰鬱な笑みを浮かべて、そう言った。

「街の人間なら、子供の頃に一度は興味本位で迷ってしまう」
「迷って、恐怖で泣きそうになって………そこで会うのさ、自分の知っている誰かの姿にね」
「それに連れ帰ってもらうと、その誰かはそんなことはしていないと言う」
「………だから、ファントムと呼ばれているのさ」

 

男は迷宮街を後にする。
ファントムの謎を残したまま。

その脳裏に、別れ際に聞いた老婆の言葉が蘇る。

「一度迷う恐怖を知れば、二度と迷おうとは思わない」
「もしまた迷ってしまえば………二度とは戻れない。ここは迷宮街だからね」
「あんたはどうする?戻れなくてもいいなら、また行くがいいさ」

 

 

 

Geist von Irrgarten=viertel”geschlossen.